高校3年生の時の担任の先生が校長先生になっていた。当時はフサフサだった頭がスキンヘッドになっていたけど、顔は変わってなかった。写真見てすぐわかった。日焼けで黒かったのが普通に戻ったくらい。
高校3年生といえば、就職したり、大学に進学したり進路を決めるのに忙しい年だ。他のクラスは、授業開始前にあるホームルームの時間を自習時間にしてもらっておのおの勉強していた。
しかし、私のクラスは、この担任先生が何を思ったのか、「みんなで大縄跳びだ」「今日はバレーボールだ」とたった15分くらいしかないホームルームの時間にみんなを教室に追い出す。体育館に集まったクラスのみんなは不満そうだった。
不満ながらも大縄を跳び、バレーボールをキャッチする。なんだかんだ大騒ぎしながらゲームする。毎回チームも変わる。そのうち、みんなの表情が笑顔になってきた。今まであんまり話したこともない子とも話をするようになって、クラスに連帯感が生まれてきた。
先生は、とにかく行くんだ、やるんだとしか言わなかったけど、先生の目的はこれだったんだ。
担任の先生との進路面談に母が学校へ行った時のこと。私は当時、大学は「共学しか受けない」「学部は法学部」と頑なに譲らなかった。理由は大してない。今女子校だから共学に行きたい、テレビで見たサスペンスドラマで弁護士がカッコ良かったから法学部行けばカッコいい気がする、それだけ。そんなこと口には出さない。成績あんまり良くなかったし。
先生は、行けそうな学校について色んなことを提案してくれたみたいだけど、母が娘は進路をこうだと決めて譲らないと話すと「それならそれで行きましょう。一浪したって珍しくないし人生は長いですから大丈夫」と応援してくれたそうだ。先生は、きっと私の夢は法学部に行くことなんだろうと思ったに違いない。他のクラスの友達は、担任の先生に「そこは受かりません」とか結構現実的なことを言われたらしい。それに比べると私の担任の先生は、生徒の夢を後押ししてくれる良い先生だったと思う。
受験シーズンになると先生はみんなに神社のお守りを配った。みんながなかなか行けないだろうと代わりに行ってくれたみたいだ。何時でもいいから受かったら電話しろよ、とみんなに言った。「電話しろよ」とは時代を感じる。
奇跡的に大学に受かり、電話をすると先生がめっちゃ喜んでた。両親も小躍りしてた。みんな奇跡が起きたと思った。しかも夢が叶ったと。
高校卒業してから校長先生になったことを知るまで、先生のことは忘れていた。校長先生になってからも教壇に立って授業をしているらしい。それだけでもすごい。そして、生徒たちに向けて「夢を持て」と言っているらしい。あの頃と全然変わらない先生がまだ母校にいた。